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HISTORY

OF ARUGA
 

History 歴史

食卓を囲む時間が、
一番の楽しみだった子ども時代。

001
少年時代

子どものときは、いつも晩ごはんが楽しみでしかたがありませんでした。
裕福な家庭ではなかったけれど、料理上手な母が、毎日私たちを喜ばせるために工夫が凝らされたおかずを食卓いっぱいに並べてくれました。
友達と遊ぶのも好きだったけれど、さよならして家に帰る時間はもっと大好きでした。
「今日のカレーには何が入ってるのかな?」「どんな味がするのかな?」
ずらりと並ぶ品々のひとつひとつに好奇心がかきたてられ、兄弟ではしゃぎながら、父と母も一緒になってにぎやかな食卓でした。
食を通じて家族が繋がっていたことを、子どもながらに感じていました。
「遠慮せずに、好きなだけ食べなさい。」「思いっきり食べて、元気が一番だ。」
食べる楽しさ、食べることで感じる喜び、発見、想像、会話… 私をつくる大切なものを育んでくれたあの食卓。「食べる」ってこんなにも特別なことなのだと気づかせてくれた日々が、私のすべての始まりなのだと思っています。

美味しいと思うものを、
みんなにも食べさせたい!
母の味をヒントに、飲食業をスタート。

1988年、世間はソウルオリンピックに湧いていました。
何を作っても絶品だった母ですが、私たち兄弟が特に惚れ込んでいたのは、
母オリジナルの「焼肉のタレ」。
我が家の焼肉はタレ作りから始まり、このタレが本当に美味しくて美味しくて、世界中探しても同じ味はないと自慢の味でした。あまりの美味しさに、家族以外の人にも食べてほしくなり、どうしたらそれが叶うだろうと考えていた頃。世の中はソウルオリンピックで韓国に注目が集まっていました。

「これから焼肉がブームになるぞ!」そんな時期にも背中を押され、意を決して焼肉屋を開店。
母秘伝のタレは、すぐにたくさんの人を魅了しました。
美味しいものは、みんなでわかちあうのが一番。自分が美味しいと感じる味覚は、間違ってなかった。飲食業というものに、大きな夢を抱くきっかけとなりました。

001
じゃんじゃん亭

21歳で結婚。
家庭を持ち、24歳で自分も飲食の道へ
進むことを決意した。

大好きな食の道。ですが、飲食に勤め始めたきっかけは、家族を養うためでした。
21歳、若くして結婚したということもあり、ただがむしゃらに頑張れて、やった分だけ家計を助けられる。おまけに、まかない付で一石二鳥。
最初はそんな理由で働いていたものの、やっていくうちにどんどん「飲食というビジネス」がおもしろくなっていきました。
そして24歳になった頃には、独立して自分の店を持つことを真剣に考え始めました。
店を構えるなら、土地がいる。土地を借りるには、不動産を理解してなきゃ商売はできない。独立するためにまず始めたことは、なんと不動産の勉強。
働きながら必死に勉強して、宅建免許を取得しました。どうせやるなら、良い条件の土地がいい。
何がどう良いのか、自分の目で見極めたい。
たくさんの人に、ずっと美味しさを提供できる店をつくるための私の本気。
意外と思われるかもしれませんが、大好きな「食」で生きていくために、店に関わるすべてに本気を注ぎたかったのです。

自分のためにすべてを手放す。
平成14年、人生の再スタート。

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32歳、0からのスタート

独立にも成功し、プロデュースを手掛けたラーメン店は続々と売上を伸ばしました。(現在は、全国で220店舗にまで拡大。)
32歳で大きな資産を手にし、家族のためにと大きな家を建てました。

しかしいろいろな事情が生じ、間もなく離婚。
これからまた新たに人生を歩んでいきたいを思い、すべての財産を妻へ。
お金はどう使うかが大事。蓄えるだけではだめなんだという持論に従い、それまで共に苦労を乗り越えてきた妻にすべてを渡すことにしたのです。
それが平成14年のこと。

私は0からの再出発を選びました。お金は一度失えば、そこに未練はなくなります。
何もないところから、ひたすら頑張るしかないからです。初心にもどり、一つひとつ本気で挑む。
だから今日までやってこれたと、今あの時の決断に誇りを持っています。

デニッシュパンとの出会い。
「このパンは、もっと毎日をワクワクにする!」

衝撃的な出会いでした。
ある日私は、何気なく手にしたデニッシュのすごさに心を掴まれてしまいました。 クロワッサンとも違う唯一無二の食感に感動し、「これを自分も作ってみたい!」と胸が高鳴ったのです。
パンのことなんて何も知らなったけれど、食べることで生まれるこのパンを、もっとたくさんの人に食べてほしいと思いました。 だからデニッシュで、一番食卓に身近な「食パン」を作ることにしました。
新鮮な食感と、食事との相性の良さがあるから、 「サンドイッチにしようかな」「フレンチトーストも美味しそうだな」なんてどんどん自由にアレンジがしたくなるパンになりました。
様々な発見がある楽しいパンですが、何よりこだわったのは食材と製法。
京都という地で生まれた「デニッシュ食パン」を、京都の食材で美味しく作る。
誰も真似できないほど手間ひまかけて、美味しさを追求する。新境地のパン事業にたちまち夢中になりました。

今も、どんどん新しい試みがカタチになっていっています。
このパンで、朝食をもっと楽しくしよう。世界に新しい朝食文化を育てよう。
またひとつ、大きな夢ができました。

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デニッシュ

喉頭がんを克服。
新たな命をもらったような気がした。

2年半前、喉頭がんを患いました。
声が出にくくなって病院に行ったら、まさかのがん宣告。
かなり進行しており、医師からは「覚悟してください」と言われました。
いい大人でありながら、涙が止まりませんでした。
でもその時間すらもったいないと思い、1週間、会社から家に帰らず、これからの身の振り方を考えました。社員一人ひとりに。家族に。自分は何をすべきなのかと。
手術して、再発して、また手術して。
しゃべることが生きがいだったけれど、生きるために声帯を取る選択をしました。

半年間、まったく声が出ませんでした。抗がん剤治療、放射線治療。
心身ともにつらかった闘病生活の末、私はがんを克服しました。
声帯を失い、自分の声で人に想いを伝えられなくなったことが何よりも悔しかった。
でも、こうして生きていられることが嬉しくてたまらなかった。
家族への感謝があふれてきました。
死を覚悟した分、新たな命をもらったような気がして、新しい夢が生まれました。
この命を燃やして、何か人の役に立ちたいと思うようになりました。
健康が一番。元気があれば、何だってできるから。
やりたいことを、全力で楽しんでカタチにしていきたいと思っています。

まだまだ「食」はおもしろい。
たくさんのアイデアと、たくさんの本気とともに
次のワクワクを見つけたい。

知れば知るほど、尽きない「食」への好奇心。世の中には、まだまだおもしろいことが待っています。
デニッシュとの出会いのように、また新しい世界知って、新しい美味しさや楽しさを創造していきたいのです。
ひとりより、ふたり。できれば、もっとたくさんの仲間と。
「食」を通じて、笑顔と会話が生まれる時間を、地球いっぱいにひろげていきたいと思っています。
そんな気持ちに本気になれる人と、どんな美味しさを見つけていけるかが楽しみです。

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次のワクワクを

これまでに立ち上げたブランド

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